2011年02月08日
2009年10月29日
ツービート
ツービートの出現は、まさに革命的だった。
彼ら、と言っても殆どビートたけしが早口で捲し立てる圧倒的なスピード感と知的なニヒリズムに支配されたネタに、ビートきよしの絶妙な塩梅の突っ込む。
絶妙な塩梅とは、たけしだけでは決してツービートの笑いは成り立たないからだ。
ツービートは異質な存在感を放っていた。
たけしのネタは、客に媚びたりせず、客に知識や教養を要求する。
たけしが繰り出すボケは、それまでの漫才にはなかった、計算されたクールなボケだった。
圧倒的なスピード感のある漫才だったが、アスリートのように瞬発力を必要がだったため、ツービートの芸の絶頂期は、ほんの一瞬だった様な気がする。
たけしは、漫才ブームの衰退とともに、役者や映画監督の方向に進んだ。
彼ら、と言っても殆どビートたけしが早口で捲し立てる圧倒的なスピード感と知的なニヒリズムに支配されたネタに、ビートきよしの絶妙な塩梅の突っ込む。
絶妙な塩梅とは、たけしだけでは決してツービートの笑いは成り立たないからだ。
ツービートは異質な存在感を放っていた。
たけしのネタは、客に媚びたりせず、客に知識や教養を要求する。
たけしが繰り出すボケは、それまでの漫才にはなかった、計算されたクールなボケだった。
圧倒的なスピード感のある漫才だったが、アスリートのように瞬発力を必要がだったため、ツービートの芸の絶頂期は、ほんの一瞬だった様な気がする。
たけしは、漫才ブームの衰退とともに、役者や映画監督の方向に進んだ。
2009年10月28日
漫才ブームの後
漫才ブームの後は、漫才ブームの時に世に出た芸人達(ビートたけし、島田紳介、片岡鶴太郎)や、『ヤング!オーオー』くらいの印象しかない明石家さんまが『俺たちひょうきん族』でその後のバラエティー番組の原型となる放送作家の台本で、芸人のキャラクターを絡めたコント&スタジオ内のスタッフの爆笑みたいな、ぬるい笑いが暫く続く。
ぬるいと言っても、たけちゃんマンシリーズでの、さんまの名物キャラクターとかあったが、後世に語り継がれるような、笑いは生まれなかったような気がする。
『俺たちひょうきん族』と平行して、ビートたけしは『天才!たけしのテレビ』や『風雲たけし城』など企画して、バラエティーの裾野は広がった。
『八時だよ!全員集合』 俺たちひょうきん族』の2大お笑い番組が低視聴率で失速後に、注目されたのは、練り込んだネタとコントのウッチャン・ナンちゃんやダウンタウン、B−51が深夜番組から土曜に11時台に昇格にたとたん、あっと言う間に、スターダムにのし上がった。
ダウンタウンは漫才ブームの末期にちょうとだけ、掛かっていたような気がするが、漫才のネタというよりも、話術とキャラクターでうけた。
ぬるいと言っても、たけちゃんマンシリーズでの、さんまの名物キャラクターとかあったが、後世に語り継がれるような、笑いは生まれなかったような気がする。
『俺たちひょうきん族』と平行して、ビートたけしは『天才!たけしのテレビ』や『風雲たけし城』など企画して、バラエティーの裾野は広がった。
『八時だよ!全員集合』 俺たちひょうきん族』の2大お笑い番組が低視聴率で失速後に、注目されたのは、練り込んだネタとコントのウッチャン・ナンちゃんやダウンタウン、B−51が深夜番組から土曜に11時台に昇格にたとたん、あっと言う間に、スターダムにのし上がった。
ダウンタウンは漫才ブームの末期にちょうとだけ、掛かっていたような気がするが、漫才のネタというよりも、話術とキャラクターでうけた。
2009年10月28日
漫才ブームの以前
漫才ブーム以前のお笑い番組と言いば、『八時だよ!全員集合』『ヤング!オーオー』くらいしか思い浮かばないが、今から考えると、それは牧歌的でホノボノとした笑いしかなかった。
とは言っても、『八時だよ!全員集合』で加藤茶がハゲずらで、タブーをバックミュージックにピンクのライトに照らされながら『ちょっとだけよ』とストリッパーの真似をするギャグに当時のPTAは、俗悪番組のレッテルは貼り、なんと激怒したことか。。。
あの唐突になんの脈略も無く始まるハゲヅラのオッサンのストリップはシュールな破壊的で瞬発力のあるギャグに、当時の子供たちは打ちのめされた。
ストリップの意味が判らなくても、怪しげな匂いのする笑いに、子供らは共感したのだ。所謂ナンセンスギャグ。
理由も意味もないところが、ただ可笑しくて笑える。
もちろん、常識的な中流思考の当時の大人たち(戦前、戦中生まれの)には、全く理解されず眉をしかめた。
『八時だよ!全員集合』の功績は、テレビ界のタブーを打ち破ったことだ。
とは言っても、『八時だよ!全員集合』で加藤茶がハゲずらで、タブーをバックミュージックにピンクのライトに照らされながら『ちょっとだけよ』とストリッパーの真似をするギャグに当時のPTAは、俗悪番組のレッテルは貼り、なんと激怒したことか。。。
あの唐突になんの脈略も無く始まるハゲヅラのオッサンのストリップはシュールな破壊的で瞬発力のあるギャグに、当時の子供たちは打ちのめされた。
ストリップの意味が判らなくても、怪しげな匂いのする笑いに、子供らは共感したのだ。所謂ナンセンスギャグ。
理由も意味もないところが、ただ可笑しくて笑える。
もちろん、常識的な中流思考の当時の大人たち(戦前、戦中生まれの)には、全く理解されず眉をしかめた。
『八時だよ!全員集合』の功績は、テレビ界のタブーを打ち破ったことだ。
2009年10月27日
漫才ブーム
80年代の漫才ブームとは、お笑い界のエポックメイキングな出来事だった。
80年代の漫才ブームの時に世に出た芸人は多いが、彼らの武器は、全員が漫才、つまり話術とネタの面白さだった。
当時、 漫才ブームとは一線を画した『お笑い!スター誕生』(ルパン3世の山田康夫司会)で、漫才以外のコントのとんねるず、九十九一らが続き、コント赤信号などが登場して、お笑いは多様化した。
その後、2年ほどで漫才ブームは終焉を迎え、彼らは『俺たちひょうきん族』などのバラエティー番組で放送作家の台本のぬるい笑いを垂れ流し、世間に飽きられた。
漫才ブームの時のように、それぞれのコンビがネタと話術とテクニックを駆使して競い合う緊張感が、全く無くなって、誰も漫才のネタすら作らなくなっていた。
80年代の漫才ブームの時に世に出た芸人は多いが、彼らの武器は、全員が漫才、つまり話術とネタの面白さだった。
当時、 漫才ブームとは一線を画した『お笑い!スター誕生』(ルパン3世の山田康夫司会)で、漫才以外のコントのとんねるず、九十九一らが続き、コント赤信号などが登場して、お笑いは多様化した。
その後、2年ほどで漫才ブームは終焉を迎え、彼らは『俺たちひょうきん族』などのバラエティー番組で放送作家の台本のぬるい笑いを垂れ流し、世間に飽きられた。
漫才ブームの時のように、それぞれのコンビがネタと話術とテクニックを駆使して競い合う緊張感が、全く無くなって、誰も漫才のネタすら作らなくなっていた。